公営レースG7(ギャンブル・セブン)
〜「公営競技はどこへ行く」Bank of Dream氏と賛成派TOMの定例会談〜
■ここ数年、とみに増えてきた競輪の大量落車レース。競輪ファンなら一度は、いや何度も目の前で落車を見せられ、車券をパァにされた苦い経験をお持ちだろう。当HP管理人・TOMは8月に入っての富山G2、小田原・函館の各G3の決勝で大量落車による車券的大被害を被り、ついに激怒。「もう競輪は打たん!」と、競輪ボイコット生活に突入すると同時に、関係各方面へ向けた『落車撲滅への提言書』を作成開始。そんなところに、「大量落車ウィークリー」で有名な(笑)BOD氏から会談のお声がけが。「これ以上の落車渦は許さん!」と吠える二人の緊急会談を即日アップ!
★☆VOL.005 『緊急会談! 競輪・落車頻発に物申す』★☆
TOM(以下T):今日もどこかで大量落車♪ ビッグレースでも大量落車♪
Bank of Dream (以下B): 競輪の恥部、大量落車、大量失格。しかし関係者は都合が悪い…
T:都合が悪い、といっても、もう「臭いものにフタ」でいられる範囲は越えているでしょう。私は今月の富山ふるダビ、小田原記念、函館記念の各決勝が全て落車レースになって、堪忍袋の緒が切れました。
B:ま、大量失格のほうならまだいいんです。「ルールが悪い」「制度が悪い」などと責任転嫁できますから。しかし大量「落車」はできないわけです。
T:ブログでも書きましたが、これだけ車券がパァになる事態が相次いでも…ホントに昨今の競輪客はおとなしくなったもんだなぁ、と感心します(苦笑)。
B:競輪系のサイトって結構ありますが、大量落車についての話はほとんどないですね。ルールが悪い、制度が悪い、挙句、審判が悪いとかいうものは結構見かけますが。
T:そうですね。メディアが扱わないのはまだわかるとして、ファン系のサイトでも書く人が少ないのはなぜ? みんな怒ってないんですかね? 私だけ?
B:ま、薄々、「最近の競輪って落車が多いな」ぐらいは感じているとは思いますが、中には、恐らく自分では見たことがないであろう、「昔の競輪」とやらを持ち出してきて、「昔の競輪は競りがすごかった。だから落車はやむをえない」なんて思うケースもあるわけで、結局落車をただのアクシデント程度にしか考えていないんだろうと思います。
T:昨今、日常的に打っていれば「これは異常事態だ!」ぐらい思うはずなんですがねぇ。それだと我々が騒いでも無駄かも、ですね。でも自分として許容範囲はとっくに越えているので、「誰かが言わないと!」という気持ちで動きますが。 BODさんは常々掲示板やブログで書かれていますが、今日はそのまとめ・総括としてお話を伺いたいです。
■「仕事しろ!」が大量落車を招く?
B:まずこの大量落車の件ですが、明らかに競輪の現在の本質的問題を抱えているものだと考えられますね。
T:ふむ。例えば?
B:よく後方から来た選手に対して、「仕事しろ!」とかいうファンがいますね。あれは要は牽制しろ!という意味ですね。ところがその牽制の「失敗」がもとで大量落車が発生するケースが多いわけです。
T:あ、それは私も言いますね。そのへんまでは展開予想のうちに入っていますので。
B:今のルールだと牽制行為について咎めるものはないようなものですが、落車させてしまうともちろん「アウト」なわけです。ところが、「あそこで牽制に入らねば捲られるのがオチだった」と明らかに開き直るような選手が少なくないような気がするんですよねぇ。
T:それは牽制の度合いの問題もありますが、たまたま張った相手が虚弱だと結果的に転んでアウト。失格になった方は「ちっ、あの程度でコケやがって」と反省もしないのでしょうね。
B:そこでこの間、TOMさんの掲示板で書いた工藤元司郎さんの話(注:競輪解説者・工藤元司郎氏の発言。『昔に比べて落車が多くなったのは選手の技術不足だなんて言う人もいるけど、それは違うと思う。今は部品もバンクも良くなって、ものすごいスピードが出るようになってるから、我々の時代よりも格段に危険なんだよ。』『スピードが出すぎてるから、同じようにぶつかっても、昔はもちこたえられたところで今は落ちちゃう。落車が多くなるのもしょうがないと思う。』)なんですが、まず、工藤さんが全盛期の頃の競輪って、逃げ選手と追い込み選手だけしかいないような形で、今みたく、捲り合戦みたいな形態はほとんどなかったと思うわけです。
T:ああ〜、そうですね。そこに昨今のように「自在型」が多く発生してくるとややこしくなる、ということですか。
B:工藤さんといえば、往年の名選手、高原永伍を事実上トップからひきずり落としたという点で、タイトルは日本選手権だけですが、歴史に残る「名マーカー」といわれているわけです。そして、高原といえば常に先頭で風を切って走る選手であり、後方にいたんではまず捲れないし、勝負にもならない。すると、一列棒状の今思えば味気ないレース形態となったわけですが、仮にそうしたレース形態の場合だと、前にいる選手は簡単に牽制ができてしまうし、少々の当たりをしても、後方から来る選手はスピードに乗れていないので落車「しにくい」し、あっという間に下がってしまうわけです。
T:なるほど。今のように自在型がハイスピードで絡み合っているような競争とは根本的に違うと。してみると、決して「今の選手が昔に比べてヨコに弱い」というわけでもないんでしょうかね?
B:例えば、「仕事して失敗」するケースというのは、後方の選手のスピードというか勢いが違い、捲られて当然みたいな展開で大きな牽制を受けてズドーンと落ちるケースが目立ちます。つまりトップスピードの状態で落ちてしまう。ま、避けようにも避けられないものですね。
T:でも、競争形態自体を昔に戻すのはムリですからねぇ。競輪競技が年月を経て、個々の選手が「こういうふうに戦えばいいのでは」と考え、それで今のようになったわけで。してみると、そのある意味進化しきった競輪競争の中で落車を減らすには「牽制を禁じるルールにするしかない」のでしょうか。
B:それしかないでしょうね。落車を極力なくすためには。だから工藤さんも言っているんではないですか?「落車が多いのは仕方ないことだ」と。それは今のルールに照らし合わせてみれば、ということになると思うんですが。
T:なるほど。バカバカしい疑問でスミマセンが、例えば選手たちに「キケンな自在戦をやめるか、ルールで縛られるか、どちらがいい?」と選択させたらどうなるでしょうね?
B: 「どちらもできない」と言いかねないですが(笑)。
■問題は「ルール」? それとも「選手意識」?
T:例えばUCIルール(国際ルール)に近い形で「牽制は原則禁止」とした場合、落車が減る以外にどんなところが変わると思いますか?
B:追い込み選手は嫌がるでしょうね。とにかく、自分でレースを作っていかねばならないわけですから。最低、「飛びつき」ぐらいはできないと勝負にならないでしょう。ところが競輪選手の大半は自分でレースが作れない。その「作れない選手は」ヨコの動きにこだわるしかないわけです。
T:私は落車頻発に怒ってはいても、依然として「走輪」はイヤ、「競輪」であって欲しい派なので、正直、できればヨコを禁じないルールのままで落車だけ減らしたいのですが。
B:うーん、難しい質問ですね。
T:そうするとやはりルールよりも「選手意識」に行き着くんですよねぇ。よく言う「賭博の駒としての自覚」というヤツですが。
B:例えば、中野浩一は競りをあまりしたことがないように感じている、中野の走りを知るファンって多いと思うんですが、中野ほど「せこい競走」をして勝ち続けた選手もいないんです。そうしないと生涯勝率5割以上なんてムリですからねぇ。中野がよくやっていたのは一旦前に出て他ラインの先行選手を一人だけいれてその後ろの選手をどかすやり方。でも、それで中野はほとんど「競り落としてました」ね。
T:ふむ。でもそれは中野の脚力だからできたことでしょうし、それを標準とすることはできませんよね。今までの話を受ければ、たとえばクドゲンさんはじめ選手OBや競輪学校教官などで討議を持ち「昔とこう違うから落車が起こるのだ」と見解をまとめる。それを受けて全選手に「現行ルールと競争形態の中ではこういう牽制は危険、逆にこうなら危険性は少ない」と指導を行き渡らせる。その指導を受けながらも落車を引き起こす牽制をした選手には今まで以上の重罰を課す…なんて方向性はどうでしょう?
B:それはやらないといけないですね。とりわけ競輪学校の生徒に対しては。ちなみに中野の「競り」というのは、体を相手にポン、ポンと数発「なでるだけ」。それで相手は怯んでしまうわけです。ただそれが唯一通用しなかった選手がいるみたいです。山口健治ですね。
T:う〜ん、究極のテクですね! 昔はそういう凄い選手がいた。連載中のマンガ「オッズ」も、そんな話の流れになっています(笑)。…で、私が考えるのはそれが第一段階。でも、これで落車件数が飛躍的に減ることはないと思っています。更に「選手意識」としてなんとかして欲しいのは「落車は客に対して失礼・競技崩壊への序曲・あってはならないこと」ということ。これをそれこそ「洗脳」するぐらい教育して欲しいですね。
■選手は学習せよ! 選手を教育せよ!
B:思うに今の選手って、果たしてどれだけ「他人のレース」を見ているんでしょうか?
T:よくトップクラスの選手、それこそ神山などは普段からレース映像を穴の開くほど観ている、と聞きますが。そんな神山が先日の函館記念決勝であのプレイ…
B:神山に脚がなくなっている証拠なんでしょうけど。ま、あれはヤマコウも悪い。でも、神山の全盛期というのはそれこそ、相手が考えている以上に先に仕掛け、動き、それで勝ってしまうといったケースが多かったですね。つまり何を言いたいかというと、あらかじめメンバーをみて、この選手はこんな動きをするからといったことを入念にインプットしておかねばならないわけなのです。ま、大半の選手が「やってない」と思うし、やってないから場当たり的なプレーとなり、とんでもない悲劇を生むんでしょうね。
T:この場だから言いますが、ホントに「頭の悪い」落車が多いんですよ。クレバーな競争の末のちょっとした間の悪さ的落車ならまだ許せるんです。ところが最近のは「なぜそんなところに突っ込む!?」とか「少しは回りの状況を見てるのか!?」とか、そんなのばっかり。
B:確かに。ふるさと富山決勝の慎平と大薗の相互接触落車はある意味、仕方ない気がします。ところが、もうスペースも開いていないのに無理やり突っ込んでいく選手が少なくないんですよねぇ。
T:そんなのは、それこそ賭博の駒としての自覚ゼロ、としか言いようがない。自分がどれだけの金を背負って走っているのかという意識が少しでもあれば、勢いで競争を壊すようなマネは踏みとどまるはずでしょうに。
B:ところが、脚がない選手に限ってそんなことをするわけです。結局、「俺はただ流れ込んだわけではない。何かやった」ということを客に見せたいだけといった感じではないですかねぇ。
T:好意的に解釈すれば「着に貪欲」ということなんでしょうけど。でも、単なるスポーツならそれでもいいですが、張ってる客がいるわけですから、そんな自己満足は通用しない。まぁ、やはり選手教育が足りないんでしょうね。
B:松本整が中野と一緒に練習する前はそんな選手で、地元の客からも、「あいつは危なっかしくてどうしようもないやっちゃ」といわれてました。また、落車・失格も多かった。でも一方で松本は常にトップクラスを維持していたわけで、要は脚があるのにレースが下手だっただけというわけです。そこで中野からいろいろ教わることによって、うまく内が衝けるような選手になりましたね。
T:学校はたかが1年で、現場に出てからの師匠・先輩からの教育の方がウエイトは大きいと思うんです。なのに、客席側同様、昨今では先輩後輩の絆が希薄になっているような気がします。やはり落車に至るような「きわどい競争」については、普段の練習の中で心構えからして先輩がしっかり教えないと、そういう勝手な競争をする選手ばかりになってしまう。
B:確かにいえますね。しかし、その先輩とやらがロクなことを教えていないとしか思えないわけで。そんなロクデモない先輩のことなどはっきりいって無視したほうがいいかもしれません。すると、後輩もちゃんと教わっていないからどうやって組み立てていいかも分からなくなる。でも、最終的にはやはり、「自分で考える力」を持たないとどうしようもないと思いますね。
T: そのあたりの現場意識(先輩・後輩共に)を高めてもらうことが落車問題には不可欠と思うので、今回の提言書は全国の選手会にも送付します。
■「バーチャル競争」では落車は減らない
B:話は変わりますが、今の選手って、あからさまに、「こんなルールじゃ走れない」とか、「番組が悪い」とか口にするように思います。挙句、「審判のせいで着を拾えなかった」とか。このあたりも、大量落車の遠因になっているのではないかと思われますね。
T:ん? なにか、捨て鉢になっているという感じですか? B:結局、頭の中が「バーチャル化」している選手が多いのではないか、ということです。
T:バーチャル化…ですか?
B:例えば、一番いい例があの「大社長日記(コンドル日記)」。つまり、「昔だったらこんなことで失格を取ったら問題になるのに今はどうしてとるんだ」といった形でまとめてますよね。なが〜い文章で。でも実際に今のルールに照らし合わせてみると、審判の判定どおりなわけです。なのに同じ表現を何度も繰り返す。これがいわゆる「バーチャル化」というわけで、選手もそうなっているんではないか、ということですね。
T:「昔は昔、今は今」という意識が持てない、ということですか。その意識のギャップが埋まらない限りは永遠に同じ過ちを繰り返しますね。で、失格取られれば「ルールが悪い」。サル以下ですよ、それじゃ。何か最近で具体例があったらお聞きしたいですが。
B:例えば、内林久徳の引退の件。松本整とは違って内林久徳は引退の事情については「脚が落ちた」とだけしか言ってませんが、実際はもう競輪に辟易したのではないかと思うわけです。それは去年の高松宮記念決勝のときですね。あのレースは顔見せと本番の位置が違ってましたよね。するとレース中、「おまえどこ回っているんだ!」と野次が飛ぶし、多くのマスコミもまた、内林を非難しました。でも、内林の本心としたら、「競輪は勝負なんや!本番で並びが変わりうることだってあるやろ!何で一々そんなことでうるさ言われなアカンのや!」となってしまったのではないですかねぇ。つまり顔見せのときは内林は「競り」だったけど、本番はそうしなかった。ということは、「内林は競って「死んでくれても」それでいい」というような考え方です。しかし、競って「死んだら」それこそ内林に優勝のチャンスなどありえないですよねぇ。
T:でも地乗りがある以上、本番で違う並びにするのは非難されても仕方ないでしょう。「客の車券を無視した」という点では、先ほどの「無理突っ込み」と変わらないと思いますが。しかも特別の決勝。競輪界全体への影響も計り知れない。私は内林がそのように思っているのだとしたら賭博の駒失格だと思いますが。
B:要するに、地乗りとか、コメントとか、そうしなければならない、というように押さえつけられている感じがするわけです。だから、今の競輪は「バーチャル競輪化」しているわけで、そうなると「結果は落車だった、しかしちゃんと自分の仕事はやった」ということになってしまうわけですよねぇ。それと、「無理突っ込み」というのは「勝つ気のない」プレーの場合が圧倒的に多いです。
T:さきほどのセリフのうち、「競輪は勝負なんや!本番で並びが変わりうることだってあるやろ!」までは理解できるんです。ただ「何で一々そんなことでうるさ言われなアカンのや!」はイケナイ。それをやれば非難されるのは当たり前。それでも勝負と思ってやるなら、非難のリスクも承知の上でやるべきなんですよ。ましてや、それが引退の一因だとすれば、まぁ競輪選手には向かなかった、ということなのでは? と思っちゃいますが。
B:同様のことが、今年の宮杯の岡部にもいえそうですね。準決勝が終わった後で山崎芳仁が、「岡部さんが来るのを待っていた」としきりに言ってたみたいですね。でも来なかった。すると岡部は自力を使う他なかったんですが、結果は1着。そして山崎は2着です。形は違えど「ラインどおり」。ところが、「岡部は何もやってない」という話ばかりが先行してしまって、他の福島の選手にも非難され、挙句決勝では何もできなかったですよねぇ。つまりこれも、「岡部は例え着順が悪かろうが途中で死んででも山崎の番手を死守すべきだった」と同意になるのではないかと思うわけです。
T:あ、あの現地集合の件ですか。あれは確かに弁護の余地がないですね。単に岡部の競争ミス&結果オーライなだけだと思います。で、普通なら岡部としても「悪い悪い」で、決勝は決勝で普通に連携したと思うんです。でも、福島には前々から内紛の火種があったのでコトが大きくなった…ということだと思いますが。
B:要はなぜ最初のほうで「競輪の本質的な問題」に大量落車が繋がっているかというと、そうした型にはまりすぎたというか、着順はよくても何もやってないからダメとか、反対だったらいいとか、そういう風潮作りが今後も蔓延してしまうと、やってはいけないものまで「美化」されてしまうわけです。ま、私の場合、要は競輪でも競馬でも、要は自分のフォーカス通りきてくれれば、プロセスは多少違ってもいいという考え方です。能書きはいらない派だから、内林の並び違いの件も分かるような気がするわけですが。
T:いまのところ辛うじて「落車が美化」されているような風潮は感じませんが、そうなる可能性はありますね。それこそ選手側の意識の問題ですが。私も小難しいことを言うつもりはなく、ただ「落車は競争を、そして車券をグチャグチャにするからやめい!」と言いたいだけなんですが。
B:そして、落車の原因を作った選手は果たして真剣に反省しているのか?ということもいえます。熊本のあの新聞あたりが「仕方ない」といっても自分なりには「そうではない」と感じている選手が果たしてどれだけいるか、ということですね。そうした選手がいなければ、大量落車は一向に撲滅しないと思いますね。
■マスコミはなぜ報道しないのか!?
T:あの新聞、といえば、落車問題を語ろうとしないマスコミにも怒りを覚えます。選手や業界関係者のヨコのつながりがあまり無い現状の中で、「落車を無くそう!」という意識を短期間に浸透させるには、やはりメディアの力が不可欠だと思うんです。例えば『けいりんマガジン』や『プロスポーツ』で何号かにわたって書かれたり、スピードチャンネルで「落車を考える」的な緊急番組でもやってくいれれば、かなりの割合の選手・関係者が目にするはず。なのに全くと言っていいほどやらない。もう不自然すぎます。怒りを通り越して呆れますね。競輪メディアは腑抜けの集まりか、と。別にお上の顔色をうかがっても、「競輪を愛するがゆえに」といった、書きよう・言いようでいくらでもできると思うんですが。
B:私が「月刊競輪」を読みはじめた頃には大々的に、「これでいいのか」という特集が組まれたものですが。結局、これも最初のほうに言いましたが、失格だと責任転嫁できるけど、落車は「できない」んです。それは選手に「全て」問題があるから。選手のことをボロカスに非難すると損することだらけなんでしょう。競輪という業界は。
T:それでも書かなきゃいけないところまで来てるんですがねぇ。ま、とにかく今回は各メディアに対しては強烈に物申すつもりです。
■まとめ〜『競輪・落車撲滅への提言書』に向けて
B:とにかく、他競技を見てみろ、といいたいわけです。確かにたまにオートや競艇でも大量クラッシュする場合がありますが、一ヶ月間に果たしてどれだけあるというのか? 競馬だったら、馬が骨折したという不可抗力で大量落馬レースになることがありますが、それでも発生したら「大事件」です。武豊が4年前の菊花賞でスタート直後に落馬した際に、「武豊落馬で100億円がパー」ですからねぇ。はっきりいって、競輪にはそのようなプレッシャーはまず感じられない。感じられないから発生するということでしょうね。
T:いつも言っていますが「ブッたるんでる」ということですね。さきほど競技面で昔と今を比較しましたが、昔の選手はそうした「プレッシャー」はきちんと感じていたんでしょうかね? それこそ一度騒擾事件でもないとダメかな(苦笑)?
B: 騒擾事件は絶対にいけません(笑)。やっても客が損するだけです。選手が悪いんだから、選手にとことん損させるようにもっていかないと…。ま、客の恐怖ということは今の選手は感じてないでしょうね。
T: そうですね。車券はパァだわ、世間的イメージが更に悪くなるわじゃ、ホントにファンは浮かばれない。やはり落車対策は「ルール改正」もしくは「失格の重罰化」のどちらか、ということになるのでしょうか。プラス、学校・現場での指導の強化を挙げたいですが。
B: 一番いいのはルールを選手が忌み嫌うUCIルール化して、脚がない選手をとことん追い込んでいくやり方がいいでしょうね。陰惨ですが。それをやられたくなかったら競輪はもちろん、スポーツの基本である、「まず完走ありき。その上で優劣をつける」という意識を選手自身が植え付けていくべきです。でも無理だと分かったら、それこそ選手をどんどん窮地に追い込んでいくような施策をとる他ないですね。大量落車というのは、競輪の体質的な側面まで抱えているから、やったら恥だし客が逃げる、といった形でいかに「追い込ませる」かでしょうね。
T: うまくまとめていただき、ありがとうございます。大いに参考にさせていただき、提言書をまとめたいと思います。
B: 今回は競輪に対する日々の鬱積が溜まっていたものを大体吐き出すことができたみたいです。私のほうから提案する形となりましたが、TOMさんに感謝したいです。
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【会談後雑感】
●とにかく一日も早く私に車券を買わせてください。競輪、大好きなんです。(TOM)
●ルール、制度、審判の批判は方々から出てくるのに、なぜか大量落車の件についてはファンサイトまで腰が引けている感じがする競輪界。しかしこの問題を放置している限り、まず、新たに競輪をやろうという人はほとんど出てこないだろうと考えます。挙句、既存の客も次第に逃げていくことでしょう。当ブログ(『公営競技はどこへ行く』)でも毎週更新してますが、「競輪大量落車」コーナーは大量落車が撲滅とはいかなくとも、限りなくなくなる状況にならない限りは続けます。それは競輪存続を願うため。(Bank of Dream)
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次回予告:「公営競技普及策《オートレース編》」 9月中旬更新予定。お楽しみに!
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