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  生活文化としての公営レースを考える 
 〜レース場がなくなる、ということ〜


 嫁の実家方で不幸があり、お葬式だった本日。実家は東京下町の中でも最もディープと言われる荒川区・町屋近辺。が、この地域といえば公営競技的にはかなりの要衝と言えなくもない。競輪の山口兄弟(幸二・富生ではなく国男・健治だ)、そしてオートの篠崎実・土田一男などを輩出した由緒正しき鉄火な土地であり、古ぼけた大衆食堂や中華料理店、そして間口の狭い小売店が立ち並ぶ街風景は昭和30年代そのまま。昭和30年代と言えば高度成長経済、そして公営競技黄金時代の始まりであり、いまだ戦後の貧しさを見た目には残しながらも、人の心は活気に満ちていた時代であった(私は生まれていないが、そうだったらしい)。そんな人間の鼓動溢れる活気は平成17年の我が国ではまったく消散し、あるのは勝ち組があからさまに負け組を攻撃する殺伐とした社会と伝統・歴史を無視し札束で作られた薄っぺらな文化、そしてまったくもって身勝手な個人主義と、偏見…である。そして公営競技は、今までの地方財政への貢献や生活文化としての側面などを省みられることなく「赤字だから」という理由付けだけが一人歩きして葬り去られようとしている。そんな典型的な例ともいえる事件が4年前、九州の小さな地方競馬場であった。

■中津競馬賠償訴訟:中津市が和解案受諾を表明−−控訴審 /大分

 01年に廃止された中津競馬の馬主ら47人が、事業主体だった中津競馬組合を構成した中津市などに約6億7000万円の損害賠償を求めている控訴審で、福岡高裁は先月31日、2100万円の和解案を勧告。これを受け、同市は8日、市議会全員協議会で和解案の受け入れを表明した。
 新貝正勝市長は「一審では勝ったが、高裁、最高裁まで裁判を続けても勝訴するとは限らない。別の廃止競馬場の補償金を見ても決して高くない」と理解を求めた。市は今月14日の高裁審理で和解を受諾する。
 馬主らは02年2月、「突然の廃止で損害を受けた」として大分地裁に提訴。同地裁は04年1月、「廃止には合理性があった」として請求を退け、原告側が控訴していた。原告団の1人で県馬主会副会長の幣旗勝行さんは「いろいろあったが、馬主側も和解を受け入れるつもりだ」と話した。
(2005.11.09 毎日新聞)

 覚えている方も多いと思うが、この廃止は、今でも信じられないような高圧的な官の力によって強行された。当時の市長(元農水省キャリア)が、ある日突然「競馬は廃止。厩舎関係者などは即刻施設を出ていくように」と言い放ったのだ。もちろん競馬場側関係者からの抗議には全く耳を貸さず、補償を求める声にも「生活保護をもらえばいいでしょ」という返答だったらしい。ふざけるにもほどがある言い分だ。

 その裁判が上記の通り和解で結審するという。それはいい…いや、よかぁないが仕方ない。しかし、この中津事件がその後に及ぼした影響はあまりにも大きく、同じように赤字にあえぐ(でも廃止には踏み切れなかった)全国の地方競馬施行者に「あ、廃止してもいいんだ」と、悪すぎる希望を与えてしまった。そして現在までの4年間に山形県上山、栃木県足利・宇都宮、群馬県高崎、新潟県新潟・三条、島根県益田と、計7競馬場が廃止されている。それぞれ形こそ違うが、中津の件さえなければ、という気はする。

 現に、今残っている場の中でも同じように台所事情の苦しい高知・福山あたりでは、少なくとも「廃止希望」という空気は少ない。記憶に新しい高知のハルウララ騒動をはじめとして、このたびアラブ競馬だけでなくサラ系レースを導入してゆくことに決めた福山、施設売却などでスリム化を図る岩手県競馬など、関係者の存続にかける努力が目立つようになってきた。しかし、いつまた中津のような首長が現れて「赤字だから廃止」と言い出すかわかったものではない。政治家にはギャンブルへの偏見を利用した票集め(ギャンブル反対派市民にウケを良くするということだ)という手段もあるようだし。

それら官の理不尽な圧力に対抗する(廃止の口実を与えない)ためには

●ちょっとでも赤字にしないこと
●施行側に公営競技を好きな(できれば自分でもやる)人を起用すること
●偏見の元となる要素を少しづつでも排除してゆくこと

などが必要だと思っていたが、ここにもう一項目加えることとしたい。

●「レース場がある」ということの生活・文化的意義を喧伝してゆくこと

である。まぁ、以前からなんとなく思っていた一項ではあるのだが、最近読んだ民俗学者・大月隆寛氏の著書『うまやもん』(現代書館)の中の一節に大きく感銘を受け、この新項に結びついた次第。その文を引用しておく。

「天下り元農水官僚のバカ市長の横暴で、いきなり廃止になったばかりか競馬場の建物自体をそそくさとぶっこわしちまった中津は論外だけれども、競馬自体は開催されなくなっても未だに競馬場の施設は馬場もスタンドもそのまま残っていて、場外馬券発売所になっている益田でも、上山でも、実際に生きた馬が馬場を走らなくなっている。そのことのどうしようもない欠落感は、その後、地元の人の多くがみんな感じている。たとえ賞金二十万円くらいの小さな競馬でも、月に何日か開催があり、それで勝ったら勝ったで飲みに行き、負けたら負けたでまた街に繰り出す、そのことの華やぎというのはかけがえのないものだった。定期的にやってくるそんなささやかなお祭りの楽しみというやつがもうなくなってしまった。ふだん、競馬なんかにそれほど関心のなかった普通の人たちでも、いざ競馬がなくなり、競馬場がつぶされるということに直面すると、その存在感を改めて身にしみる。なくなって初めてわかるありがたみ。だから、どんな小さな競馬場でもうっかりとつぶしてしまってはいけない。なくなった競馬は二度と戻ってこない。」
(『うまやもん』41〜42ページより)

「町から競馬場がなくなる、ということがどういうことか、益田の人たちはいま、身にしみているはずだ。たとえわずかな賞金をとりあうような競馬でも、勝てば勝ったで関係者はこぞって呑み屋に繰り出し、馬券でしかつきあえないろくでなしたちもそれなりにまた、地元の商店街にいくばくかのゼニを落としてゆく。にぎわい、とはそういうことだ。テレビにも新聞にもろくにとりあげられることはなくても、月に何日かそういう時があり、そういうにぎわいが街にある、そのことがなんでもない日々の暮らしにどういう潤いを与えていたのか、なくなって始めてわかる寂寥感を味わっているに違いない。」
(同書 62ページより)

 うーん、何度読んでも感動的名文。評論家筋ではなく、民族学者だからこその視点だ。『賛成派』主宰である私にとっても、「なぜ存続させたいのか」と問われれば、これと似たようなことを真っ先に申し上げるような気がする。「赤字だからといって廃止とか、そういうレベルのモノじゃないでしょう、レース場は。その地域の生活にとって大切なものなんです」ということを今さらながら声を大にして言いたいのだ。

 まぁ、こういう名文を理解しようとしなかったり、情緒的な(人間的で素敵な)考えを一切排除して物を考える役人がレース場を廃止に追い込むのだろうから、彼らを相手にこういう話をしても馬耳東風なのだろう。しかし、自分の生活の一部(私などは一部どころか中心だが・笑)としての楽しい素敵な時間、ギャンブル仲間達との酒や語らい、朝、新聞のレース欄を見る楽しみ…等々を奪われることを良しとしない人たちは、この「レース場廃止」ということについてじっくりと考えるべきだと思うよ。あなたの行きつけのレース場がある日突然無くなったら、あなたはどうなりますか?

 

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